2014-07-12

肺ガンと疑われて

私は少々ノドが弱くて、遠くで天ぷらを揚げていても、その見えない煙でむせることがあるくらいです。とはいえ、自分としては、そんなに頻繁に咳き込んでいるつもりはないのですが、妻から「一度、病院で見てもらったらいいのでは」と何度か言われたので、素直に従うことにしました。わずかに、肺癌や肺結核の可能性も捨てきれず、、、、

ノドが弱くなったのは、さかのぼれば、10数年前、海の精勤務時代、39度超の熱をこらえての東北方面出張後の肺炎で10日間寝込んでからだったような気がします。ああいう無理はするべきではない、と今は思うのですが、、、

とりあえず、7日(月)に学芸大学駅前の呼吸器内科に行くと胸と背中の触診と採血、5分で終了。「レントゲンは撮らないのか」と思っていたら、院長から「自営業で定期検診を受けてないようなら、たまには、CTスキャンで見てもらったらいいですよ。私は毎年、頭と胸をやっています。どうしますか?予約時刻の15分前に行ったら、30分後にはもう終わっています。あっという間です。8,000円です(←これ違ってました)」とセールストーク。

「彼は、肺癌や結核を疑っているのか、いや、健康な奴だからこの際少し儲けてやれ、ってことで言っているのか」判然とするわけもなく、
しかし、私の判断は「この際シロクロつけてやろうではないか」(と口に出さずに、心の中で言った)。

9日(水)検査場所は渋谷メディカルスキャニング。渋谷駅の埼京線ホームの外れの方の改札口から出てすぐの所。私は下馬の自宅からてくてく往復90分歩きました。このくらいの距離は健康のためにも歩かないともったいない。

約束の正午の20分前に受け付けを済ませましたが、正午を大きく過ぎて、12時20分頃に着替えの指示。検査着に着替えて、さらに、20分待ち、放射線医の診察。そこで、「造影剤を打ってもいいよ」的な書類にサインさせられました。検査室に。目の前で初めて見るCTスキャンの機械。意外と小さくスマート。指示通りにベッドに寝て、腕を頭の上に伸ばして、息を止めて、一回終わったら、さっきの放射線医が技師とともにコントロール室に入室。意外と時間がかかっていて、少々不安。「念のため、お薬を入れて、もう一回やります」だと。さらに、不安。造影剤は蛍光ミドリ色でスライムのような色。いかにも不自然そうな色だが、えいままよ、でやってもらいました。

2回のスキャンを受けて、造影剤の点滴菅を外して、着替え、、、、そこを出たのは1時40分。呼吸器内科の医師がいう「あっという間」とは違って随分と長く感じました。料金は保険適用でしたが、11,100円払いました。(学大の医師が言った料金より3,100円高い)

腹が減ったので、駅近くの居酒屋の焼き魚定食(ホッケ)を食べて帰路に。

結果が分かるまでは、不安でした。「まあ、大丈夫」とだいたい思ってはいたのですが、わずかな不安は残ったまま。

そこで、出した結論は「肺癌だったら、腸の機能をずたずたにして、正常な細胞も傷つける抗がん剤はやらない。手術もがん細胞が他に飛ぶのでやらない。びわ種と酵素療法と温熱で自分で人体実験だ」。この覚悟は早かったです。しかし、結核のほうがむしろ怖くて、「隔離されるはめに」では困ります。

11日(金)、学芸大学のクリニックから「渋谷のクリニックから写真が着いたので、来るように」との電話が9時過ぎあり、すぐに向かう。「わざわざ電話か。やばい結果か、、、」と不安がよぎる。診察室に通されると「最新のスキャンと血液検査の結果です。癌も結核も、アレルギー反応もありません。おめでとうございます。」と言われる。ほっとしました。「中葉気管支拡張症がわずかにあるようですが、ノドが少し弱い程度のもの。胸膜肥厚とあるのは肺炎の跡ですね」

昨日の午後は、元気はつらつ、たまっていた仕事もいっきに片付け、ご無沙汰の友人に電話をかけ、ぐっすり眠りました。

今回、つくづく、健康第一、日頃の精進、節制が大事と思いました。皆さんもお気をつけください。

2013-11-10

自民議員に陳情しました/秘密保全法を廃案に!

参議院会館で「STOP秘密保護法みんなのアクション!」(主催:秘密保護法を考える市民の会)に参加してきました。

集まった市民達70~80名ほどが、7.8人を1チームにして、10組ほどのチームを編成し、それぞれが各10人ほどの参院議員を訪問して、秘密保護法の廃案を陳情しました。

私のグループは参院会館10階の自民議員を10人訪問しました。議員直接には会えず、秘書の方に代わってご対応いただきました。

秘密保護法案は、対象を(1)防衛(2)外交(3)安全脅威活動の防止(4)テロ活動の防止の4つに分類。そのうち、特に高度な秘匿が必要と認めた情報を「特別秘密」に指定し、外部に漏らした公務員や政治家らに罰則を科す内容となっているとされますが、秘密の定義があいまいで、秘密期間もときの政権、行政の都合で延長が可能。対象範囲がいくらでも可能、恣意的な運用が可能な大変危険な性質をもちます。

TPP交渉や原発事故関連情報も特定秘密にされる可能性があるようです。

何が秘密なのか明かされないまま、立件されて、逮捕、有罪ということもありえる、まるで、治安維持法のような理不尽な運用が行われる可能性もあるのです。国会議員の国政調査権でさえ大きく制約されてしまいます。

このような危険な法律ゆえに、日弁連はじめ、多くの弁護士、刑法や憲法の学者、大学教授、アムネスティなどの人権団体が反対しているのです。

知り合いの国会議員がいなくても、お住まいの選挙区の国会議員、今のタイミングだと、参院議員にですが、「憲法無視、人権無視の特定秘密保護法案反対」のメッセージをファクス、メールで送ることをおすすめします。


2013-11-02

「ないないづくしの起業術」(大和田聡子/中公新書)

「ないないづくしの起業術」(大和田聡子/中公新書)

「起業術」とタイトルにありますが、今年で独立・会社設立10年の私にとっては、起業に必要な技術的な事柄よりも、「なんのための起業か?」「自らが選んだライフスタイルに反しないビジネスの有りようは?」など常に見直しを迫られている事柄をもう一度整理するのに参考になりました。 

この本、タイトル通りどんな業種の人にとっても共通の教訓が語られている「起業術」の本であると同時に「コユキコムギ復活の物語」でもあるんですね。 

たまたま、朝のジョギング中に洗足駅にそんなに遠くない住宅街でベーカリーを発見。店名はワルンロティ。買って食べたらこれが、もちもちして、咬めば咬むほど味がでる。久しぶりに美味しい国産小麦パンを食べさせていただいた。なんどか通っているうちに、お店の片隅で本を数冊目にしたので、ご主人の大和田聡子さん名で検索したら、なんと本を何冊か出していらっしゃる。 

この本はその中の1冊。 

パンにはコユキコムギが使用されています。日本人好みの「もちもち食感」が特長。パンになってこそ粉のおいしさがしっかりと感じられて毎日でも食べ飽きない味わいがある。パン用の国産小麦として大変優れていると言っていいです。 

なんと、大和田さんのお父さんが品種改良の専門家で岩手の試験場勤務時代に開発したのだそうです。岩手県の推奨品種でありながら、いったんは、消えかかったところを、大和田さんが生産者、流通、加工業者をつなぎ、復活を遂げた。その辺の事情が著書にはたんたんと語られているが、その熱意と行動力は脱帽ものです。 

幸い、私は、著者の大和田さんがパンを焼き、販売する姿を知っています。 

規模は小さいものの、大きな理念に裏打ちされた真剣さと情熱、行動力に大いに感化されたのでした。 

著書読了後は、金土日の週三日営業もライフスタイルと矛盾しない適切な選択であることが実感できます。 

パンは発酵の応用食品ですが、大和田さんは、ワインのソムリエ、チーズの専門家としての顔を持つ。

「発酵」という芳醇な食の世界に自然と焦点が定まっていったのでしょうか。その辺の心情、動機や経緯はいつか大和田さんに伺ってみたいところです。

2012-03-11

東日本大震災から1年/当初の様子


あの日からちょうど一年。

2万人もの方が犠牲となり、今なお30数万人の方が避難生活を余儀なくされている。心から哀悼の意を表するとともに、避難生活をなさっている方々のご健康を心より祈りたい。

[地震発生]

一年前の午後2時46分のことは昨日のことのようによく覚えている。

私は自転車に乗り、7,8分ほど離れた友人宅に小2(当時)の次男を送り届ける途中であった。近所の世田谷観音の坂下の交差点で信号待ちしていたのだが、なにやら目眩がする。さらに、ぐらぐらと揺れがおそってきた。地震と気づき、自転車から降りて揺れが収まるのを待った。

目の前のヤクルト販売所のガラスがガタガタと激しい音を立て、建物全体がはっきりと揺れるのがわかった。道を隔てて隣の下馬地区会館は増築したらしき部分のジョイントが離れ、隙間の向こうに青空が見えた。

「どこかで大地震が発生したに違いない」と感じて、次男とともに自宅に戻った。

帰宅後も余震が続き、築60年と30年の木造家屋はぐらぐらと揺れた。ガスが自動停止した。この辺では停電はなかったようだ。片時もラジオ(ナショナルAM専用)を手放さず、そのたびに外に飛び出した。テレビでは「○○で死者○人、行方不明○人、、」と言っていたが、東京でさえあの揺れなのだ。震源付近の東北太平洋沿岸の被害はどれほどのものか。人的被害は報道のたびに尋常ではないスピードで増加していった。

時間がたつにつれて、次々にテレビやインターネットから流される映像は見たこともない巨大な津波の来襲、コンビナートの大爆発、、、、とあまりに衝撃的なものであった。

私には、東北日本海側に故郷の鶴岡(山形県)があり母と兄が住むが東京と比べても被害らしきものはないことを早い段階に報道で知った。

しかし、大規模な被害が予想される範囲に女川、福島、東海村と3箇所(福島は二箇所だから正確には4箇所)に原子力発電所が稼働していることにさらに強い不安を覚えるようになった。

「海洋への放射能漏れなどなければよいが」と、思っていた私の想像を上回る重大事故が発生した。

[原子炉爆発]
大地震発生の翌日3月12日から15日までの間に1号機から4号機までの4つの原子炉、タービン建屋で水素爆発などの爆発が起こり、大量の放射性物質が拡散したのだ。海洋への放射性物質の流出は言うまでもなく莫大なものとなった。

これにより、3月15日、さらに23日には、東京世田谷・弊社の線量計(β線/ロシア製RADEX。5年ほど前に購入)は通常の自然放射線量0.12~0.14マイクロシーベルト/時を大きく上回る約0.26を記録。これは、見かけの線量では2倍程度だが、バックグラウンドを除いた0.12~0.14は、約230キロ離れた原発から飛散してきた放射性物質に由来することは明らかであり、今後、放射性物質による大規模な汚染を予見させるのに十分な事象だった。

事故続出、事故隠蔽も続出で明らかに莫大で危険なエネルギーを制御できない欠陥品、しかも廃棄物処理技術も確立しないままの原子力発電の商用化には学生の頃より反対であった。しかし、それを私は積極的に行動に表してこなかった。それを強く悔いた。私の周りではこのような「消極的原発反対派」が多く、商売仲間からも同様の後悔をいくつも聞いている。

私自身、今後起こりうる最悪の事態~子供や家族への健康被害、避難や事業の休止~といった恐怖に鬱々たる気分を味わった。とくに15日の気分は最悪で、放射性物質の飛来に反応したのか、人間社会の空気に同調したのか、近所の高校の森から一晩中聞こえてくるカラス達の鳴き声が私の不安をさらに増幅させた。生まれ育った鶴岡でも、成人後の生活の拠点・東京、埼玉でも災害に見舞われたことがない私が自分のこととしてはじめて遭遇する天変地異+大規模人災といってよかった。