2011-04-16
城南信金の脱原発宣言に思う
福島第1原発事故という世界的、歴史的災禍は、第一義的には(株)東京電力の責任なのだろうが、あれだけの大規模かつ独占企業になっていると取引先や関与する官公庁も多岐にわたり複雑な利権構造をもつ。
実質的に中空状態、つまり責任者不在の企業となっているわけだ。役員の会見中のコメントにも、ところどころに「われ関せず」の雰囲気が漂っているのは無理からぬところか。
あの人達は、普通のサラリーマン(※)であり、大河の流れのごとき巨大経営の流れの中で、たまたま、在任中に最悪の災禍に巻き込まれただけなのかもしれない。
本質的な責任は言うまでもなく、長々となんの反省も畏れもなく、原発がごときエセ科学を絶対化し疑うことをせず、心ある市民、学者の進言に耳を貸さず、巨大な利権構造を作り上げてきた自民党と現民主党内の対米従属勢力、そして、経産省(旧通産省)官僚達の責任である。
東電は、そのような、いわば闇の勢力の手先に過ぎないと感じる。
我々、国民にも責任はある。60年安保締結以降の対米従属勢力=原発推進勢力の台頭を選挙権を有効に行使することなく、野放しにしてきたのである。
騙されたといういいわけは成り立たない。いつの時代でも、身を粉にして原発の危険性や原子炉現場作業員の労働環境の劣悪さを告発する人達はいたし、十分に耳をすませ、心と頭のアンテナを伸ばしていれば、その声は大きく聞こえてきたであろう。
我々はその声に耳をふさいできた。
しかし、過去に時間を戻すことはできない。
我々は、原発推進勢力を監視し、糾弾し、持続可能な真にエコなエネルギー源の開拓と社会改革に尽力する新しい国のリーダーを選択するとともに、原発を温存してきた自らの文明観、社会観、ひとりひとりの生き方、生活の有り様を厳しく見つめ直す必要がある。
このことは、個人のみならず、企業にも同様に求められることだ。
私ども、かんたろう合資会社では、3月19日に代表である私、鈴木が脱原発宣言を行った。小さな会社であるからささやかなものではある。
対して、東京の城南信用金庫は、業界大手であり多種多様な得意先とのしがらみがある難しい立場でありながら率先して「脱原発宣言」(4月8日城南信金ホームページにて)を発したのである。勇気ある行動だ。
「信用金庫という地域を預かる金融機関にとって、その地域を失いかねない事態の福島県を思うと、いま企業の姿勢として反原発の立場を明確にし、そのうえで省エネや節電に協力していくことが必要だと考えた。自らが言うべきことを言い、やるべきことをやれば、地域金融機関として地元企業の協力を引き出していくことができると考える」と吉原毅理事長はたんたんと、まっすぐに、語っている。
今後は省電力や省エネルギー、代替エネルギーの開発利用に「少しでも貢献する」とし、その具体的な取り組みとして、徹底した節電運動の実施や冷暖房の設定温度の見直し、省電力型設備の導入や断熱工事の施工、緑化工事の推進、ソーラーパネルの設置にLED照明への切り替え、燃料電池や自家発電装置の導入への貸し付けなどの支援を具体的に実施していくとしている。
城南信金の脱原発宣言は、今後、規模や業界、地域を越えて、脱原発社会推進運動の先駆けとして歴史に名を残すに違いない。
原発の状況に著しい進展がなく、気分も沈みがちな市民達に、城南信金の脱原発宣言はここちよい感動を広げているようだ。
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